(アゴラ早版)「科学報道を殺さないために-研究機関へお願い」に反論する

本記事サイエンスに精通している方の意見に背中を押され(結果として自分で自分の背中を押しましたが)、アゴラ早版とします。なおアゴラ版は加筆修正の推敲の後掲載いたします。それまで少々お待ちください。

 

科学報道を殺さないために-研究機関へお願い
http://togetter.com/li/391591

を読みました。今日はこれについて反対意見を述べたいと思います。

記者は理系の修士課程卒のようで、掻い摘んで要約すると記者はいくら博士課程を終了していても研究の最先端を理解するのは難しく、それをサイエンティストは丁寧に記者向けに解説してほしいということのようです。またその記者曰く「あらゆる先端研究の内容を,自力で評価できるわけがないのです。記者の判断は,研究者の話を聞く中からしか生まれません。」とも述べています。

では記者にポスドクを配置してはどうか、との問には「理系出身の記者、研究経験のある記者を増やすのは大賛成ですが,そこが本質ではありません。私は理系の修士ですが、記者の検証能力は理系・文系の別より,圧倒的に取材量で決まります。」と。

この方は修士卒ということなので研究とは、という問に対してそれほど多く考える時間を得ないまま取得、社会に出られたわけですが、それは能力という点である程度はしょうがないのかもしれません。しかしながら原著論文を読んでから議論しているだろうか、という疑念がこの文面からは読み取れます。

いわゆるNature, Scienceといったようなメジャーなジャーナルにパブリッシュされるということは多くの人が共通の話題にできるような論文が多く、いくら詳しくないとはいえある程度はその分野については俯瞰可能です。原著論文は確かにテクニカルタームはあり、この記者の言うように理解できない部分もあるかとは思いますが、正確に読めば正確に理解できるようにちゃんと記述されています。その点については分野が違えど理解できます。それがポスドクであるなら尚更可能となります。この記者はそれが科学論文であることを理解しているのでしょうか?それを踏まえた上で不明点を取材する、というのが本筋ではないか?だとしたらこの方の取材方法としてはまだ論理思考的に疎い面が見え隠れしている、というのが私の考えです。

結局はサイエンティフィックな訓練を受けてきた人間があまりに少ないため、その評価もどこから行なっていけば良いのか誰もわからない社会ができている、ということの裏返しではないか、と考えます。だとしたら科学的な訓練を十分に受けてきたPh.D.、余剰のポスドクを雇うべきです。この記者はそれは本質ではないと述べていますが、上記の点で誤りと考えます。これまでうまくいっていた社会でもいつのまにか歪み始めてしまった社会、これについては真実しか修復できません。その役割を担う優秀な人材を使わない手はないと結論します。

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