科学者・技術者への信頼低下は明治以降の全国民の責任である

すでに昨日の記事だが以下の科学技術白書が発表された。

2012年6月20日「科学者・技術者への信頼低下 科学技術白書が指摘」 サイエンスポータル編集ニュース / SciencePortal
http://scienceportal.jp/news/daily/1206/1206201.html

平成24年版 科学技術白書 本文(PDF版)
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa201201/detail/1322246.htm

ワタシも科学者の端くれとして(ほんとうに端くれになってしまったが)これを看過して見過ごす訳にはいかないので言及する。

これをかいつまんで要約すると科学者、技術者への国民からの信頼低下、しかしながら専門家同士ではその傾向が弱まる、としており、提言としては多様な人材の育成、分野間の融合、若手研究者の柔軟な発想、リスクコミュニケーション、要素技術以外の充実、リテラシー云々、といったおあつらえ向きの言葉が並ぶ。
おそらくこの文言及びキーワードは今後数年間は使われ続けるだろう。ではこうなってしまった原因をかいつまんで探る。

第一はやはり国民のリスクの認識不足、そして結果ありきの行政や役人の行動になる。まずは国民が地震多発立国日本での立地条件の検討に関する議論を蔑ろにしてきたのは従前の多くのブログで語られているとおり。例えば放射能リスクに関する定量的議論が未だにできず、不安だから等、安心安全を盾に逆切れする国民がどれ程多いことか。

しかしながらそれを生み出したのも日本国である。明治以降役人醸成システム、即ち一問一答方式のクイズ形式の学問、東大をトップとするヒエラルキー的教育システム、かまぼこ的役人を生み出すシステムとしては画期的だが明治のシステムが全て現在に通用するシステムとは到底思えない。

よって責任はこれまでの全国民にある、というのが結論であるが、これではその状況を認知する人間がおらず、誰も改善方法がわからない状態になっている。

本HPでも主張しているが、これからの時代はまず自らのアイデンティティーを確立し(この確立がなされていない割合が日本にはなんと多いことか)、自ら問題を見つけ設定、自らのもつ哲学や科学的論理に基づいて、自分で回答を出し、行動していく力が必要である。
本ブログや本HPサービスの各ガジェットにご参加いただければその動機付けや取っ掛かりを経験豊富なScientific-Global.netの科学者、及びスタッフが微力でもお手伝い出来ればと切に考えている。

今後共Scientific-Global.netをよろしくお願いいたします。

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